15年前、2011年3月11日は下北沢にいなかった。下北沢以前に東京にすらおらず、愛知県豊橋市でとあるイベントに参加していた。
会場が揺れる、震度で言うと3くらいか(実際には震度4)。あまり強い揺れではなかったのでイベントも続いておりそこまで気にかけていなかったけど、参加者が徐々にざわつき始めた。ネットで地震の情報を見ると、東北で大きな地震が発生したと知る。
時を追うにつれ、それが自分のイメージを遙かに超えた規模の地震であることを知る。津波警報が発出される、いや、大津波警報だ。海岸線に近いわけじゃないけど、自分がいる地域にも津波警報が出ている。どんな規模の地震だったのか、まだちゃんと理解していなかったけど、人生で発生した中で最も大きな地震であることは間違いなかった。
自分が体験した中で最も大きな地震は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災だった。京都に住んでいたこともあり、かなり大きな揺れを体験したことは今でも覚えている。幸いにして自分の身近な人たちは無事だったけど、震源に近い所に住んでいる人たちの大変さを聞いていたこともあり、もうこんな規模の地震は起きないだろうと当時は思っていた。
それを確実に超えている、そんな地震だったと悟った。
東北の被害は全く分からないけど、東京も震度5強の揺れだと知る。とりあえず家族は無事だが、流石にイベントに参加している気分ではなかったので、滞在していた実家のある豊川市に戻りテレビやネットで情報を収集する。東京も大変なことになっているけど、巨大な津波が押し寄せた東北地方の光景は地獄と表現するしかない状況だった。
とりあえず東京に戻ろうとしたが、高速道路は全て通行止めとなり新幹線も止まっている。相変わらずテレビに映し出される被害は、想像を完全に超えている。眠れず身動きが取れないままだったけど、翌日お昼前に中央道の通行止めが解除されたので、中央道経由で東京に帰ることにした。
豊川市には自衛隊の駐屯地があり日常は平和そのものだけど、この日は明らかにいつもとは異なり慌ただしさを感じる。いつもとは逆、東名高速道路を西に向かい、東海環状道を経て中央道へ。高速道路を走っていると、豊川駐屯地の自衛隊車両がたくさん見かける、被災地に向かっているのだろう。それ以外にも静岡から災害救助犬を乗せた車、島根の救助隊、移動式医療車輌、NTT西日本の電源車、九州の方の警察犬搬送車両、そして、多くの被災地ナンバーの車輌も、、、。
東京に着いたのは夕方頃、とりあえず家族は全員無事でよかったけど、部屋は凄まじい状況。結局、翌日は1日片付けで、下北沢に行ったのは3日後の3月14日。小田急線は新宿から経堂までの運行、マクドナルドは一時的に閉店し、オオゼキは見たこともない数のお客さんが詰めかけている。どのお店もモノがない状況。ライブハウスも閉まっている、そして、計画停電の話も。私は下北沢の事務所に設置されているサーバを、全て移転する作業を始めた。
東日本大震災から15年目を迎えるに当たり、当時の自分の行動とか感じたことを振り返ってみました。あの、被災地に向かう多くの車両のことは、今でも鮮明に覚えています。被害があまりに酷いこともあり、正直、あの時の下北沢がどんな感じだったのかはあまり覚えていません。上の写真で、やはり計画停電の話が大きな話題だったと思い出しました。
どうして、こんな話を書き始めたのかというと、今朝下北沢に向かう途中、世田谷区の地震体験車・なまず号を見かけたから。3月11日という日だからこそ、地震について体験できるのはとても価値があることでしょう。そして、ちょっと忘れかけていたあの日のことと下北沢のことを思い出しました。

自然災害はいつ起きるか分からない、だからこそ普段から備えが必要。
15年目の節目の年、改めてそのことを感じました。
そして、東日本大震災はまだ終わっていないことも。


