2013年3月23日未明、今はなき地上にあった下北沢駅に最後の電車が入ってくる。それまで、何度となく足止めを喰らっていた東北沢6号踏切付近には、無数の人がその光景を見るべく集結していた。

たぶん、この踏切ができて以来の最大の人出だったのではないか。生ビールのジョッキを持ったまま、踏切前まで来ているグループまでいる。小田急線下北沢付近が地下化され、最後の電車が通過するその瞬間を観る人たち。そこには感動だとか涙だとかそんなものはなく「お、踏切最後か! 観に行くか!」みたいな、何でもかんでも祭りにしてしまう下北沢の人たちが集まっていた。

そして、2013年3月23日01時10分頃、新宿発最終の経堂行きの電車が、東北沢6号踏切に入ってきた。写真を撮る人、ただ電車を見つめる人、歓声を上げる人、色々な人たちの前をその電車が通過する。そして、遮断機が上がったあと、たくさんの人が役目を終えた踏切になだれ込んできた。

「小田急も地下に潜ったし、飲みに行くか!!」

なにが何だかわからないけど、下北沢の人たちにとってはそれも飲む理由になる。もう二度と小田急線の車両を下北沢の街で見かけることはない。私はどちらかというと感慨深い思いで最終電車を見送ったが、すぐにその光景が日常になってしまうことも事実。下北沢という街は、日々変わり続けているのだ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

あの日から2年以上が経ち、ある一冊の本が出版されました。

【シモキタらしさのDNA「暮らしたい 訪れたい」まちの未来をひらく】と題されたこの本、著者は高橋ユリカさんと小林正美さんのお2人。でも、既に高橋ユリカさんは私たちが生きている下北沢にはいない。「小田急線跡地を考える会」を立ち上げ、「グリーンライン下北沢」の代表も務めた高橋さんですが、2014年8月彼女が登壇することを心待ちにしていた『北沢デザイン会議~小田急線沿線の街の未来を考える~』の開催直前に逝去。そんな彼女の遺志を継ぎ、小林正美さん(明治大学理工学部建築工学科教授)とNPO法人グリーンラインの皆さんが協力し、この本が完成しました。

この本を語る上で、まずは高橋ユリカさんが何をしてきた人なのか説明させてください、巻末のプロフィールを掲載させて頂きます。

高橋ユリカ Yurika Takahashi

1956年東京大田区生まれ。1975年早稲田大学第一文学部入学。在学中にオレゴン州立大学に交換留学。1979年卒業後、文化出版局で女性誌編集を担当したのちフリーライターとして活動。1992年に大腸がんを経験したことから医療に関心を持ち、医学雑誌、看護雑誌に数々聴こう。その後、近代医療を考えることで川辺川ダム問題、水俣病問題に行き着き、自然環境、公共事業問題もテーマとして、多くの著書を執筆した。さらに地域の暮らしと公共事業の取材を通じて地元の下北沢の街づくりに関心をもち、市民が専門家と一緒に勉強し発信していく「小田急線跡地を考える会」を立ち上げ、2011年に「グリーンライン下北沢」(のちにNPO法人化)に名前を変えて代表をつとめた。東京工業大学博士課程に在籍中。長年の闘病生活の後、2014年8月逝去。お墓は下北沢の森厳時

下北沢に関わる人たちとたくさん意見を交わし、そして、小田急線跡地のあるべき姿について思いを伝え続けてくれた方です。お会いした2010年前後は、道路や小田急線跡地についてはニュートラルな立場を貫くことを決めており、私は彼女との積極的な関わりを避けていました。

しかし、実際に小田急線が地下化し跡地の活用が現実のものとなるにつれ、徹底的に小田急線跡地について考察をしていた彼女の考えと向き合う必要に迫られることになります。そんなタイミングで2014年8月に『北沢デザイン会議~小田急線沿線の街の未来を考える~』の開催が決定、高橋ユリカさんが登壇すると知り、この機会に改めて彼女の考えを伺おうと考えていた、そんな矢先の訃報でした。

About the Author

黒田

下北沢の街に流れ着いてはや22年、この街で映画のワンシーンのような場面を見続ける日々。Web制作会社の有限会社第四企画社長兼インフラエンジニア兼しもブロキュレイター。日夜下北沢のエンターテインメントをチェックし、ひとりでも多くの人たちに伝えるべく下北沢の街を駆けずり回っております。 [Twitter]m_kuroda

View All Articles